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資格

◆一級建築士
◆一級建築施工管理技士
◆AFP(日本FP協会認定)
◆二級ファイナンシャル・プランニング技能士(資産設計提案業務)
◆一級エクステリアプランナー
◆日本健康住宅協会健康住宅アドバイザー
◆ブロック塀診断士
◆遮熱施工管理士
◆住宅金融支援機構適合証明技術者

1972年北海道札幌市にて大工の長男として出生。
幼少期は大工の父親の仕事を見ながら育ち、加工場では大工道具を使ってよく遊んでいた事を覚えています。
当時電動工具はそう数はなくほとんど手作業なので手工具ばかり。
まだテレビゲーム等普及していない時代でしたので、持て余した時間には構造在関係も仕口や継手を作っている父親の真似事で端材を使ってノミで作って遊んでいました。

小学校も高学年になると現場に連れて行ってもらい、釘打ち機の無い時代なので、小さな口にいっぱい釘を加えて屋根の野地板張りをやっていた事や現場周りの片づけや断熱材施工を手伝っていました。
当時の断熱材はグラスウールで2日くらい体がチクチクしていたものでした。

釘打ちも慣れていないうちは良く親指を玄能で叩いて詰をはがし、父親に笑われたものです。そんな父親の下での成長がものづくりに対する好奇心を育ててくれたのでしょう。

父親は原理や仕組みを追求する事が好きで良く話をしてくれていました。
その影響を受けたせいか、8才の時にサンタクロースが大奮発して与えてくれたラジコンカーを、電池を入れる前に分解してしまい母親にひどく叱られた経験がありました。見えない電波を探そうとして分解してしまったのです。
8才のクリスマスが、私がサンタクロースがいないと知った日となりました。

父親の仕事の都合もあり1987年茨城県に家族共々転居。
工業高校の建築科に通い、高校生活の3年間はラグビー部に所属しチームワークと自分に勝ち続ける精神を教わりました。
これといってやりたい事が見つからないまま進路指導の先生に進められるまま大手ゼネコンに就職することに。

1990年、高校卒業後、大手ゼネコンに入社。

就職先のゼネコンでは木造以外のほとんどの構造を経験し、バブルの最終期だったため職人が集まらず現場監督の立場ではありましたが各職種の道具を入れた10キロ近い腰袋を下げ、自ら現場作業をしていました。

自分で施工図を書いて自分で施工することで、細かい収まりや地面と実際の違いや施工性等を知るには随分役立ちましたし、もともと作ることが好きな自分は職人よりもいい仕事をする監督になっていました。

しかし…、バブル崩壊後のコスト削減体制の中、
利益優先で最低限の施工を強いる企業体質が色濃くなるにつれ、
胸を張って自信を持てない仕事にかかわる自分に苦しむことに…。

大型施設やマンションなど作り続けましたが、自分が人の役に立っているのかどうかという疑問が心を襲います。

2000年、とうとう我慢できなくなり、大手ゼネコンを退社。
なぜ自分が物作りをするのか、誰のためにするのか、建築として今後の発展に自分が追従する事ができるのだろうか等の答えを見つけるために木造住宅業界に足を踏み入れることになりました。

木造住宅業界に入った時、一概に木造住宅といっても実に多様な工法がある事に驚きました。
更には工場でのプレカット生産の進歩状況にも驚かされました。

過去分譲マンション等の間仕切りや床を含めた部分の下地の粗末さや、躯体の施工品質の確保が出来ていない物件に大きな不満を持っていたこともあり、当時の第一目標は施工品質を向上させることでした。

構造部分と結露はその中でも第一優先。
構造部分は直接人命に関わりますし、結露は健康を大きく害します。

次いで、使いやすさと内部環境の安定化を徹底的に勉強しました。

やるなら徹底的に学ぶのが信条であり、一級建築士、一級施行管理技師、AFPと次々に資格を取得しました。プロとして自分で納得できる安全を届けたい。安心を届けたい。その為の資格取得でした。

建築士の勉強は一般論であり必ずしも全ての個人に当てはまるものではありません。
使い方は公共建築物であれば対応は可能であっても個人対象では大きく変わってきます。
家内部の環境安定化は雪国よりも関東の方が寒さと暑さを強く感じたことに由来しますが、この四季折々の日本で四季に対応出来る家造りが必要なことは明確でした。

更には地球との同化について考えました。
これはどういう事かと言いますと今の言葉に置き換えるとエコと集約されてしまいそうですが、もう少し踏み込んだライフラインを断つ生活のあり方です。

この事につきましては住み手側の意識が大きく関わってきますので、なかなか実現までは難しいかもしれません。

特にそう感じたのは福島原発の事故ですね。危ないので止めろという運動は盛んに行われていても
「自分たちは電気供給をストップして生活を始めるから原子力発電を止めていいよ」と言う人はいませんでした。
しかし人々の意識が大きく動いてきている事には間違いありません。

時代はどんどん移り変わっています。
みんな同じと言う日本人の考え方から徐々に個性を重視される時代に入っています。
10年前は家に対して多くの個性は求められず、自由に育ててもらった自分は個性が、強く固定概念が薄いので、
みんな一緒がどうしても満足に至らないものでしたが、現在では一定の道徳のなか個性の主張が許されますし、それが求められています。

この事は作り手側の心を非常にくすぐりますね。ありがたい限りです。

建築デザインに関しては、
アトリエ系と呼ばれる建築家さんとは少し求め方が違います。

私が求めるのは装飾ではなく、機能する形がデザインになるという事です。

これにつきましては建築家のアントニ・ガウディーのサグラダファミリアに大きな感銘を受けました。
それは、聖域である教会であり、外観のデザインは巨大な音響システムの集合体とういう機能を持ち合わせた建築と言うと事です。

全てに対し無駄がないのです。

また、ユニバーサルデザインも重視しています。
障害者を含め多様な空間づくりが求められますが、これは人の精神をお落ち着かせるためには不可欠な手法だと考えています。

先祖記憶というものがあるのでしょうか、人類は敵から身を守り洞窟生活をしていましたが、そう言った環境に安心感を何げに覚える事もあります。
コルビジェエやライトの建築にその事を感じたりもしますし、ローエの不必要な物を削ぎ落としたモダン建築も興味深いです。

それらの事を追求しながら家づくりをしていると時代の変化への対応も含め、なかなか結論には至りませんし、答えが出るはずもありません。

ですが、これで満足ではなく、常に追い求める姿勢が大切だと思っています。
「常に新しく、進化し続ける」家つくりが必要なのではないでしょうか。

これからの日本の建築を支えて行くのには、当然私一人ではなすすべもありません。
ですから講師として就任している建築士養成学校で、今後も人間生活発展の為に心を伝え続けたいと思っています。

最後に会社経営についてですが、
法人になった時に会社を大きくしようと考えた事もありました。
しかし、自分らしくはなく大きくなったとしても喜びは得られません。

一つ一つの家族生活を大切に扱い達成していく事が自身には最大の喜びであり、この世に存在する意味だと本心で思っています。

家づくりを大切に扱わせていただくために、自分の範囲を超えたことはせず、とことん満足できる家作りをしたい。
住まわれる方々と家族になって、今後も沢山の家族を作りながら、永く永く世代交代を重ねていける家造りをする会社にしていきたいを思っています。